2015.1.1 掲載

新年あけましておめでとうございます。

昨年末、紀彰を襲名してから初めての自主公演を皆様のおかげをもちまして無事終了する事が
出来ました。年末のお忙しい中お運び頂き誠にありがとうございました。
長年演じてみたいと思っておりました『砧』を舞ってみましてあらためて素晴らしい曲だと思いました。
今迄地謡や後見で何度もこの曲にかかわってきた事により、ワインのようにこの曲を自分の中で
熟成させる事が出来、シテとして表現する喜びを感じることが出来ました。そのためには、これだけの
年月が必要だったのだと思います。
何よりも私がこの会に出演して頂きたかった先生方による地謡と三役の方々の力強いお力添えを
得たことに心より感謝いたしております。
これからもこの会を大事に育てて行きたいと思います。

他に印象に残っていることといたしましては、他分野の方との交流が多くあり、特に11月に開催された
『麻衣と舞』ではクラッシクではない歌手の方と共演した事です。
今迄古典分野の方とのコラボレーションはあったのですが、今回初めて童謡や映画主題歌といった
現代の音楽家の方たちとご一緒させて頂き、新たな可能性を感じました。
まだまだ一般の方には能楽は敷居が高いと思われているかと思いますが、このような催しを通じて
沢山の方に能に触れる機会になればと思います。

今年は先代梅若六郎の三十七回忌にあたり、梅若会の催しはすべて追善の意が込められております。
1月10日に翁「法会之式」3月21日に清経「恋之音取」を舞わせて頂く予定です。

今年も他分野の方との交流も多く予定されており、能の素晴らしさを広く知っていただく機会になればと
思います。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。



2014.10.22 掲載

以前より皆様に個人の会を開催するお約束をしておりましたのですが、のびのびになってしまい
大変申し訳ございませんでした。ここにようやく紀彰の会を開催する運びとなりました。

今回「砧」を被かさせて頂きます。この曲は世阿弥作の秋の名曲です。私が能楽師になって
初めて心に響く感動を覚えた謡が“砧の段”でした。詞章が名文中の名文であり、そこにまた
素晴らしい節がついており、秋の夜長の寂しい情景とシテの夫への思いが見事に表現されているからです。

その素晴らしい謡の地頭を梅若玄祥先生にお願い致しました。
皆様にも十分お楽しみ頂けると存じます。

この曲は本来ならばとうに演じていておかしくない曲なのですが、たまたま舞う機会に恵まれず
今回「紀彰の会」を催すに当たり是非この曲を舞いたいと思いました。
ただ私としては今この年齢だからこそ表現出来る事もあると思いますし、長年思い入れのあったこの曲を
今回舞う事は私にとって必然であり喜びであります。

初めてご覧になられる方にとりましても、この曲が持つ能の世界観を十分に感じて貰えるよう
演じられればと存じます。



  【梅若紀彰後援会発足のおしらせ】

   このたび、「能の面白さ」「美しさ」を皆様により身近に知っていただきたいという思いから
   梅若紀彰後援会を発足するはこびとなりました。
   この会を通して私自身も色々な事に挑戦し、精進して参りたくおもっております。
   末永くご愛顧くださいますよう、心よりお願い申し上げます。

   ■会費:入会金 3,000円  年会費 2,000円
   ■チケット先行予約:一般発売に先がけて「紀彰の会」のチケットをお求めいただけます。
   ■会報誌の発行:年2回(不定期)の会報誌にて公演スケジュールや近況をお届けします。
   ■特典:会員限定の親睦会にご参加いただけます。次年度会員継続の方には
        クリアファイルをプレゼントいたします。
     ※会員資格は毎年1月1日〜12月31日までです。(年度途中の入会もご同様です)
     ※10月1日以降のご入会の方は、次年度のお取扱いとなります。
   ■お問い合わせ:梅若紀彰後援会事務局 TEL:045-824-6039 FAX:045-824-6071
                               e-mail: makoto_no_hana@hotmail.co.jp



2014.1.10 掲載

新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

昨年は観阿弥生誕680年、世阿弥生誕650年という 能楽界にとりましては
特別な年でした。私も世阿弥作の『桜川』『実盛』『井筒』『融』と素晴らしい曲を舞う
機会をいただき、とても嬉しく充実した一年でした。

今年はまず3月に大曲『鸚鵡小町』を舞わさせていただきます。
私にとりましてはかなりの難曲になると思います。前半ほとんど動きがないのですが
小町の心情、すなわち昔に引き換えての今の落ちぶれた境遇の嘆きやワキとの問答・和歌で
表す誇り高さ等、自然な謡で表現しなければならないからです。もちろんそうしなければと
思っているうちは自然ではないわけですから、そこが難しいと思います。

この曲は一場物ですから中入がなく、そのまま後半の老女の舞になりますので
体力的にも厳しいことになるかもしれません。しかしいつも思うことなのですが
私よりお年を召された先輩達がこの様な曲をしっかり舞われるのですから、経験とは実に
大切なことなのだなあと改めて思います。

その他今年もまた他分野の方との舞台もあり、きっと得るものが沢山あると思います。
そして何より皆様にご報告しなければならないのは今年は必ず自主公演をさせて頂くということです。
本当にお待たせしてすみませんでした。その為にもしっかり体調管理をしていきたいと思ってます。

皆様も良い年でありますように心から祈っております。



2013.1.3 掲載

新年明けましておめでとうございます。

まず始めに 昨年自分の会をすると言っておりましたのにそのお約束を守れず、
まことに申し訳ございませんでした。今年はまだ会をする予定は立てておりませんが
その時が参りましたらお知らせ致します。

さて昨年は私のお弟子さん方の会「梅栄会」が30周年を迎え、記念の大会を
催させていただきました。お社中の方々が日頃のお稽古の成果を充分に発揮された舞台を務められ
とても嬉しく思いました。特に第一回の会よりずっと出演されていただいているお弟子さんが
いらっしゃることはとても感慨深く、また本当に感謝いたしております。

私のことでは 人形師のホリヒロシさんとコラボレーションさせていただいたり、
クラシックの方々と舞台をご一緒させていただいたり、歌舞伎の市川海老蔵さんと各地で演能させて
いただいたりと他分野の方々との交流を持つ機会の多い一年でした。

人形舞・クラシック・歌舞伎とそれぞれ勝手の違う方々との舞台製作でしたものですから、
なかなか難しく大変なこともありましたが、それよりも皆で妥協をせず真剣に良い舞台にしようと
一つの方向に気持ちを集中させて行った作業は本当に心地よいものでした。
これは舞台人としては当たり前のことなんですが、改めて他分野の方達の舞台に懸ける
ストイックなまでの姿勢に強く刺激を受けました。

又一昨年の秋に大曲「姨捨」を務めさせていただいたことにより、2012年はもしかすると
私の舞台生活での転機となる年だったのかもしれません。

今年は私の大好きな名曲ばかり(2月に「桜川」、6月に「実盛」、8月に「邯鄲」、10月に「井筒」、
12月に「融」(十三段之舞))御約をいただいており、どの様に立ち向かえるのか 楽しみにしております。

どうぞ本年もよろしくお願い申し上げます。




2012.1.3 掲載

新年明けましておめでとうございます 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

昨年は震災で予定されていた公演が随分中止となり、自分達には何が出来るのかが解らず、無力感を覚えました。
もちろんチャリティー能などはさせて頂いたのですが……。一番大切な事は風化させないって事でしょうね。
どうしても忘れてしまいがちでしょうから、常に振り返っていかなければいけないなと思います。
また何時このような災害に遭うのかもしれないと思うと、一日一日を無駄にしたくない、大切にしたいという気が
強くなります。

そして昨年は「姨捨」を披かさせて頂いたという事が自分にとって一番大きな出来事でした。
今思っているのは、やらさせて頂いて良かった、もの凄く良い経験をさせて頂いたな という事です。
お囃子方の先生方や地謡の先生方が、良い姨捨をというよりも、僕にいい経験をさせてあげよう、“三老女”というのは
こういうものだと経験させてあげようって感じが凄く伝わって来て本当にありがたかったです。
直接言われたわけでも聞いたわけでもないのですが、僕の能楽師としての経歴を良く知っている人達なので、55才という
年齢で初めて姨捨を披く僕に対して三老女とはこういうものだよ、しっかり経験させておいてあげよう、という感じで
謡ったり囃して貰った気がしました。それは申合の時から感じていて、もの凄く感謝しています。

この曲はお稽古の時から今迄とはまったく違う感じを受け ました。玄祥先生には細かいところは直して頂きましたが、
こういった曲はどこがどうって事ではないから、という仰有られかたをされていました。今まで培ってきたものを
集大成として出すという事なのかと思うのですが、お稽古・申し合せを経験して精神的にも体力的にも段階的に分かっていく
感じなのかなと思いました。老女が普通に舞っているように見えることの大変さを実感致しました。
姨捨の稽古を受けた後、九州で「遊行柳」の舞囃子を舞う機会があったのですが、普通に考えれば「遊行柳」はかなり
静かな曲なんですが姨捨の位に身体が慣れてしまって、すごく速く感じて驚きました。

体力的には本当に辛かったです。この曲は70才・80才の方も舞うわけですから、僕の方がまだ体力はあるのですが、
それでも本当に疲れてしまいました。序之舞を舞い上げて一声発した瞬間に、一気に具合が悪くなってしまったんです。
もう動けるような状態ではなく、今までに経験したことがないような腰の痛みと嘔吐に襲われてしまって。
でも舞台で演じている最中だし大変な曲の披きだし。それで急に信心深くなっちゃって、とにかく死んでもいいから
幕の中までは入らせてくださいっと拝んでいました。

ですからそれからがもの凄く長く感じましたね。でもご覧になっていたかなりの方から、旅人を見送る所などの後半部分が
良かったと 言われました。具合が悪くなったのが良かったんでしょうね、つまり演技をしていなかったから。
稽古をしていたから体が動いていたのであって、見送るなんて気は全くなく、ただ体が自然に動いているという状態が
かえって良かったのだと思います。

とにかく横になりたいという状態でしたから幕に入ってからはへたり込んでしまって。通常とは違うカマエで演じていたので、
前々日に行った申し合せと本番での疲れがあの時点で体力的に限界となってしまったのだと思います。
今まで生きてきた中で一番辛かったですね。

先日「殺生石」を1日で3回舞う機会があったのですが、動きの激しい曲ですし、勤める前は体力的に大丈夫かな、
と思っていたのですが結果はそんなに疲れなかったんですね。やはりあぁいう経験をすると違うんだなぁ、
凄い経験をしたんだなぁとあらためて思いました。

今年の抱負はというと、これは今年に限らずこれから先ずっとの事になるのですが、梅若会をどのように良く変えていくか
という事が大命題だと思っています。梅若会という団体を今以上に魅力のある会にしていくか、ほぼ毎日考えていますね。

自分のことで言えば秋 ぐらいに自分の会を開きたいと思っています。
それと今年30周年となる梅栄会が5月4日にございますので、たくさんの方にいらして頂きたいですね。






2011.3.15 掲載

初舞台の頃の事は良く覚えていますね。3歳くらいの時から母に連れられて、祖父(五十五世
梅若六郎)にお稽古をしてもらいました。僕は外孫ですから能楽師にならなきゃいけないという
事も無かったですし、2つ違いの兄が先に子方を始めていたので、それにつられるような形で
やるようになったわけです。祖父のお稽古はやさしくて分かりやすいものでした。
その頃は何も分からないで出演していて、物心ついた時から能は身近にあったのでお稽古が
嫌とか特殊だとかいう感覚は全くありませんでした。
それが普通でしたし、他の生活を考えたこともありませんでしたから。

小学4年生の頃、能楽師を“仕事”として考えるきっかけがあったのですが、そうなると
逆に嫌になっちゃったんですね。それまではこの仕事をしようがやらなかろうが自由だった
わけですから。
「小袖曽我」「田村」「小鍛冶」のシテを勤め、路線としては能楽師の道を歩んでいたのですが、
自分の中では嫌で嫌でしょうがなく、中学でやめてしまったんです。

戻ったきっかけは高校を卒業した時にこのまま普通に大学に行って勤める、というのは自分には
向いていないという気がしたからでした。それで能を続けてみようと自分で決めたんです。
舞ったり謡ったりという経験はありましたが、僕の父は能楽師ではありませんでしたので“能楽師”
というものが全く分かっていなかったんです。ですから入門してからは辛かったですね。
祖父も子方の頃とは違って怖かったですし。

書生時代、上智大学のサマーセッションというのがあって、「清経」を初めて勤めた事がありました。
その日は定式能の申し合わせ・若手のための稽古能が合わせて5番あり、その後に「清経」の申し合わせがあったんです。
書生でしたから他にも装束を出したり掃除をしたりと色々な事をやらなくてはいけなくて、それで夜7時くらいから本番だったんです。
なので本番をむかえた時には体がこなれていたというか精神的にも開き直っちゃっていて、装束の間で景英(現玄祥)先生に
装束を着けて貰っている時先生に向かって「先生、実は僕、初めて能を舞う気がするんです」って言ったんです。

その時僕が体験したのが“離見の見”でした。すっごい状態でした。「清経」の曲に入り込んでいる自分がいるのだけれども、
冷静な自分がここにいて見ているという状態で。謡に合わせてとか、どの速度で丁度いい所に行けるかな、など全く何も考えずに
丁度良い場所に行けてしまう、勝手にやってくれている、みたいな感じでした。なおかつその舞っている自分に興奮している
自分がいて、だけど非常に冷静で。もう、ほぼ完璧というか何かを掴んだんだと自分で思ってしまいましたね。

今までの一生の中でちゃんと舞えたと思えるのはこの一回だけです。
もちろん今僕が舞う「清経」とその当時の「清経」では絶対今の方がいいはずですが、
そんな状態で舞えたのはその時一回だけですね。
自分の中であんな体験が出来たというのはすごい財産だと思っています。

45歳を過ぎた頃「あぁ、能ってこういうものなのかな」と少し分かったかなと思った事があって、
でもその2・3年後にまた新たな事が分かって「あぁ、あれは分かってなかったな」。
それで50歳になって「あぁ、これじゃない」みたいな事があって。また52・3歳になると
「あぁ、分かってなかったんだな」と。その繰り返しが面白いですね。
稽古不足で自分でも出来が悪いと思ったものが良く思われたり、良く舞えた、と思ったものの
評価が低かったりもしますし。

能の良さっていうのは判りづらいだろうな、と思うところは凄くあります。映画などとは違いますからね。
でも本当にいいものは誰でもいいと思うんじゃないかな、って気がするんです。「松風」にしても「砧」にしても、
あんな名文が書けるのは日本人しかいないわけで、凄いなと思うし。それを僕らがお客さんに判りやすいように演じて
能の素晴らしさを伝えていく、というところに能を続けている魅力があるのだと思います。

どんなに能の素晴らしさを言葉で表しても伝わらない、やはり見て貰うしかないと思うんですね。
それと能ほどテレビにそぐわないものはないと思うんです。相撲でも野球でも全部本物の方が迫力があるわけですが、
一番違うのが能だな、と。もう天と地ほどの違いがあります。なので手を引いてでも生の舞台を見に来て欲しいと思いますね。

紀彰を襲名して、自分の事を前以上に一生懸命やるという事よりも今は梅若会の在り方について考えています。
芸の世界は民主主義ではありませんが、適材適所・それぞれが活躍出来るような実力をつけさせる事を目標にしています。
能という芸能を僕らが後に繋げていくような形をとっていかないといけないな、と凄く思いますので。

いずれ六郎を継ぐ事になるのでしょうが、「六郎」という名前は大変重いですね。
最初はすごく苦しかったです。でも今はもう、その事を受け止めて、自分が果たせることを果たすしかないなという気持ちです。
最終的に僕が当主になった事で梅若会の皆が良くなったね、という形に持っていけたらと思っているんです。
結果を見て貰うしかないですね。



2010年12月 二代梅若紀彰襲名に関する記事

このページのホームへ asahi.com(朝日新聞社)2010年11月24日掲載

TOKYO Web(東京新聞)2010年11月28日掲載

YOMIURI ONLINE(読売新聞)2010年11月29日掲載



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